山川小学校が閉校する。最後の運動会が開かれた。 我々の子供の頃とは隔世の感がある。
あの頃は、朝から開催を告げる花火が鳴り響き、運 動場には何十本もの万国旗が張り巡らされ、正門の 両サイドには出店が並び、中村商店のおやっさんが、 酢昆布と紙ニッキをくれた。
拡声器からは軍艦マーチが鳴り響き、学年毎の徒競 争で鉛筆とノートをもらって、運動会のトリは部落 対抗リレーだった。
そして、最後の山川小学校の運動場には万国旗が3本 だけ。その盛衰劇の立役者は我々だったのだ。だか ら、そのエピローグにも責任を持たなければと思う。 と言っても何ができるわけでもない。だが気持ちの 整理だけはできる。我々の(薩摩隼人)の歴史を整理 することで後世に何かを残せるかもしれない。そん な話をLineでやったら総スカンを食らう。この掲示 板とて同じだと思われるが、すでに浮世話をしあう 使命はLineに奪われていて、この掲示板は山川小学 校のグランドと同じだ。
600年前、このグランドに土矢倉城があって、そこか ら山川の発展劇が始まった。その役者たちはさらに1 300年以上前に南方からやって来た薩摩隼人だ。
歴史を整理して、後世に伝えたいとおもう。「そんな ことは自分のブログを立ち上げて、一人で勝手にやれ ばいいじゃないか。(ウザイ、失せろ)」と気の置けな いと思っていた級友に言われたが、これだけは止める わけにはいかない。(以下、当掲示板投稿分ダイジェスト)
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