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三春便りC 投稿者:きいがらいも 投稿日:2007/02/22(Thu) 20:16 No.764  引用する 
福寿草・・・もう春ですね?・・・

Re: 三春便りC 投稿者:しげもい 投稿日:2007/02/23(Fri) 09:57 No.765  引用する 
きいがらいもさん、いつもきれいな写真をありがとう。
僕は雪を見るとそこへレガシーで行きたくなる。 いつ行けるかナー。

Re: 三春便りC 投稿者:きいがらいも 投稿日:2007/02/26(Mon) 12:58 No.766  引用する 
しげもいさん、とわなみ掲示板をいつもお借りしています
愛車のレガシィで雪道を走りたいでしょうが今年は福島市内郡山市内は地元の人も驚くほど雪は無くスタッドレスタイヤが泣いています、でも油断大敵!夜間は凍っているところもありますのでまだ取り替えられません。

僕も若い頃スバルに乗った事があります。あの独特のエンジン音がたまらなく良かったですね。ちなみに聞いた話ですがスバルの四駆は東北電力の雪道対策で相談されて開発の一翼を担ったとか・・・定かではありませんが、しげもいさんのディーラーへ聞いて見て下さい・・・・・

Re: 三春便りC 投稿者:しげもい 投稿日:2007/02/27(Tue) 13:11 No.767  引用する 
そんな雪国でスタッドレスタイヤが泣くほど雪がない?この調子だったらほんとにどうなってしまうんだろう。

スバルの四駆は高圧送電線のメンテナンスに雪のために苦労していた東北電力が富士重工(スバルのメーカー)に相談して
開発されたというのはスバルが毎月発行しているカートピア
という小さな雑誌に載っていました。

もともと車というのはエンジンが前にあり後輪を駆動するというのが常識でした。ごくまれに後ろにエンジン積んで後輪を駆動する言うのがありました。スバルが売り出した軽自動車はリヤーエンジン・リヤードライブで RR といっていました。富士重工も軽自動車から普通自動車メーカーに生まれ変わりました。昭和40年ごろと思いますが1000CCでフロントエンジン・フロントドライブ (FF)を発表して世間を驚かせました。戦時中戦闘機メーカーだった富士重工は車は後ろから押すよりも前から引っ張るのが効率がよいというのが
信条でした。これなら階段でも上れるといっていたようです。わたしは大手町の会社のすぐ近くでスバル1000の発表会があるというのでこのときまだ免許持っていませんでしたが
このときの説明を聞いていてこれだったらジープのような
4輪駆動車は簡単に出来るではないかと思ったのです。
それから1100CC,1300CCと段々スケールアップして
1300cc のバンが活躍しだしたころ東北電力からの
依頼がありスバルも渡りに船という感じで開発に取り組んだものと思います。1400CCの乗用車レオーネが4駆になっ
たとき飛びつくように購入しました。このころの4駆はパートタイム4駆の切り替え式で通常前2輪で駆動し滑りやすいところで4駆にきりかえるというものです。ところが4駆で
走りながらカーブするとぎゅーと強力なブレーキがかかります。速度をゆるくしても左折右折のカーブはとてもむりです。これは実用的でないと前軸と後軸の間に差動装置を入れてアルシオーネという2ドア車ができました。これはエンジンと四つの車輪が歯車でつながったもので理想の車としてほれ込みました。これを高速で飛ばすと胸のすくような
すばらしい走りをします。しかし一人二人で乗るときはいい
けれど2ドアはやっぱりファミリーカーとしては落第です。
このような数々のユーザーのニーズによって育てられたのが
現在のレガシー、フォレスター、インプレッサだと思います。
 現在ではフロントエンジン・リヤードライブという車は
トラックではまだかなりありますが乗用車はフロントエンジン・フロントドライブ(FF)か四駆となっています。これもスバルが作った流れです。何かで読んだ話ですが
富士重工は戦争が終わってまったく仕事がなく工場にはあの
小さなタイヤがごろごろしていた。これでなにかできないだろうかとだれかが考えたスクーターをつくりだした。これが
終戦後よく走っていたシルバーピジョンだったと思う。
長くなりましたのでこの辺で・・・・

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