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天神様にお参りした。 投稿者:しげもい 投稿日:2021/11/07(Sun) 19:23:03 No.970
天神様にお参りした、何十年ぶりだろう。

 最近足がむくんで仕方ない。千葉でも足のむくみには悩まされていた。田舎やに来てからは毎朝45日間、トン汁と納豆の定食を日坂さんといただいた。いつの間にか足のむくみが治っていた。味噌汁がとても足のむくみに良いと感じていたので今は一生懸命味噌汁を作って飲んでいるのに
・・・。一人暮らしを始めてまたむくみだした。原因は運動不足以外にないと考え歩き回ることにした。
 昨日は雨だったがおとといは山川の街を海岸通りから恒吉商店前、灯台の横を通り揚場から昔の伊佐町長邸前を通り溜池から旧山川中学校跡を通り抜け又海岸道りへ出てグルーと回って役場前で10,916歩。千葉では8,000歩が最高だったのでよく頑張ったことになる。今日はおととい山川小体力コースという看板を見つけたのであれを登って小学校まで行ってみようと8時10分に出かけた。
看板から3.40メートル登ると苦手な階段だ。この階段は本殿までは100段ぐらいあって両脇はズーと梅の木が並んでいたことなど思い出したが本殿までは無理だなと考え街を見下ろしながら写真を撮りゆっくり上ることにした。街は朝日をいっぱい受けた白い家がみんな新築のようにきれいに見えた。意外や意外本殿が見えてきた、よしこれならちゃんと登れそうだと元気が出てきた。道路がきれいに上まで整備されて階段の部分がかなり少なくなったのだろうと思った。
本殿に到着し2礼2拍1礼(間違っているかな)して100円玉を投げ込んだ。がらんとした板の間にお賽銭箱がぽつんと一つあるだけだ。あっ壁に懐かしの看板がある。菅公を讃える歌 というタイトルだったと思うが今は亡きかばさんの提案で作成されたもので我が「とわなみ会」メンバーの 須崎信一郎氏の筆によるものである。もう古くなって写真では影の部分が読み取れない。山川鶴郷会が再発足して2.3年目に寄付したもので20年ぐらい前のことだ。下り階段でずるっと足を滑らせしりもちをついた。右手で支えたので右肩にずしんと響いた。また右肩が痛くならないと良いが・・・・ 今日は距離的にはたいしたことはないが大分階段を上ったから足は充分に鍛えられただろう。上り口看板のすぐ近くに俊哉君の家がある、ここによらない手はないだろう。一寸早すぎると思ったがお邪魔した。睦ちゃんが
コーヒーやきゅりの漬物など出してくれた。俊哉君がゴルフの話をしながら肩にモーラステープを貼ってくれた。同級生ていいもんだ。帰り着いてすぐ歩数を見た。3.741歩。少ないのは予想していたがこんなに少ないとは・・・・・。

Re: 天神様にお参りした。 - 投稿者:しげもい 2021/11/08(Mon) 12:12:37 No.971
天神様本殿です。


添付:971.jpg (226KB)
Re: 天神様にお参りした。 - 投稿者:しげもい 2021/11/10(Wed) 12:40:19 No.974
須崎信一郎氏の筆による 菅公 です。 さすがに製作当時の艶はなくなっていました。


添付:974.jpg (150KB)
Re: 天神様にお参りした。 - 投稿者:しげもい 2021/11/10(Wed) 12:43:37 No.975
がらんとした板間にぽつんと一つ置かれた賽銭箱。


添付:975.jpg (142KB)
Re: 天神様にお参りした。 - 投稿者:しげもい 2021/11/10(Wed) 12:47:47 No.977
本殿の裏にこんなサービスがありました。


添付:977.jpg (226KB)
Re: 天神様にお参りした。 - 投稿者:蛇々馬会の司 2021/12/31(Fri) 11:47:15 No.982
【菅公】
東風吹かば匂い起こせと心なき梅にも別れ惜しまれつ
朝夕に恩賜の御衣を拝しつつ慕いまつりし
大君の深き情天に通じ熱き誠地を動かし
北野の神を奉られて世の鏡とはなりにけり

この韻を踏んだ銘文、一読してもちんぷん
かんぷんで何を言いたいのかわかりません
でしたので、ちょっと勉強してみます。


管公 - 投稿者:蛇々馬会の司 2022/01/01(Sat) 22:14:31 No.984
幼少から天賦の才のあった菅原道真は、とんとん
拍子で右大臣にまで出世します。ところがそれを
妬んだ左大臣藤原時平は「道真が醍醐天皇の失脚
を画策している」と天皇に讒言(ざんげん)する。
これによって、道真は太宰府へ左遷させられそこ
で没する。だがその後京都に天変地異が相次ぎ道
真の怨霊とされ、それを鎮める為に天皇は(京都御
所北西の野原)北野に道真を守神とする天満宮を建
立します。そこで、この銘文の通釈です。

【菅公】(菅原道真公)
道真公は京都の住まいに咲いていた梅に、「どう
かその香りを東風に乗せて太宰府へ届けてくれ」
と人の心を持たない梅にさえ情愛を示され、酷い
仕打ちをされた天皇にも(左遷の直前の句会で天皇
から褒美に頂いた)衣を朝晩拝んで、天皇の安穏を
願っていた。そうした深い情愛が天の怒りを起こ
させ、道真は(北野天満宮の)神様として、世の人
の鏡とまで讃えられることとなったのです。

(人を思いやる気持ちの大切さを管公に学びたい)



添付:984.jpg (936KB)
Re: 管公 - 投稿者:蛇々馬会の司 2022/01/09(Sun) 09:08:39 No.985
「天神さま上り口看板のすぐ近くに俊哉君の家
が」とありますが、西 俊哉さんのことでしょう
か。だとしたら、俊哉さんは私のいとこの兄さ
んです。子供の時から尊敬している人で、私が
家を建てた時に天神様の「菅公」銘板と同じよ
うな鯉の彫り物の欄間飾りを贈ってくださって、
今でも大切に飾ってあります。

船乗りをされていて、お土産にその頃はまだ日
本では珍しかったネスカフェをよくもらってい
ました。



添付:985.png (608KB)
川畑みかん - 投稿者:蛇々馬会の司 2022/01/14(Fri) 14:27:55 No.987
その俊哉さん家の庭には、「川畑みかん」があ
りました。皮は固いですが味は濃厚です。

川畑みかんは南九州にしか存在しないミカンの
ようで、旧加世田市の川畑地区で発見されてこ
の名前が付けられたとか。

そして、その近くには阿多という地名がありま
す。阿多とは朝廷によって「薩摩」と呼ばれる
前のこの地域の呼称です。つまり、元々は薩摩
隼人ではなく阿多隼人だったわけです。

で、阿多隼人の拠点が万之瀬川流域のこの辺り
でした。ですから、川畑ミカンが南九州にしか
存在しないのは、ひょっとしたら隼人族が南方
から渡来したとき種を持ち込んだのかもしれま
せん。そんなロマンを想い、「まだ松の内」と
言いながら正月の残り物で昼酒しています。

すると、「松の内は7日までよ」とカミさんの声。
「関西では15日までだ!!」と口答えしたかった
のですが止めました。

「あんたは年中松の内」と言われそうで。



添付:987.png (341KB)

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